3粒のサンプル

−「ただはやぶさの持ち帰ったサンプルは、予定よりずっと少なかったと聞きます」
長尾教授(以下N)「当初の予定では、はやぶさからイトカワの表面に弾丸を撃ち込み、舞い上がった“砂”を数グラム回収してくるはずでした。ただそれはうまく行かず、微粒子をわずかに回収できただけでした」


はやぶさは、5gのタンタル製の弾丸を300m/秒の速度でイトカワ表面に撃ち込み、舞い上がった岩石を回収する予定であった。


−「1マイクログラムもないほど?」
N「我々が測定した粒子は、簡単には重さが量れないほど小さいので推定するしかないですが、大きい粒で0.2マイクログラム、小さいのは0.06マイクログラム程度と思われます」

−「全然目には見えないレベルですね」
N「はい。こういうチリが1500粒ほど取れていたんですが、他の大学や研究機関、協力してくれたNASAやオーストラリア、さらには来年から始まる国際公募研究にも分けなければなりません。また一部は、将来もっと分析技術が進歩したときに改めて測定できるよう、大事に保存されています」

−「では先生のところにはどのくらいサンプルの“分け前”が?」
N「3粒だけ」

―「え!マイクログラム以下のチリに含まれる希ガスってどのくらいの量なんですか?」
N「一番たくさんあるヘリウム同位体で、10のマイナス13から14乗モル、今回の分析の鍵になったネオン21は10のマイナス19乗モル程度です」

−「マイナス19乗!ということは原子数にして数千から数万程度……そんなものが捕まるんですか」
N「はい、質量分析の手法でわかります。希ガスは非常に感度が高く、同位体比の差もわかりやすい、有効な分析法といえます」


分析機器の一部。様々な工夫と改良がなされている。

「はやぶさ」の持ち帰った宝物(1) 〜長尾敬介教授〜

 昨年6月、日本の打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」が宇宙から帰還し、大きな話題を集めたことは記憶に新しいと思います。はやぶさは、小惑星イトカワ」までたどり着いてみごとその微粒子を回収、そして往復60億kmもの旅を終え、大気中に燃え尽きて散りました。その姿は感動を呼び、映画化もなされるなど日本中にはやぶさ旋風を巻き起こしました。


着陸するはやぶさ(想像図)

 しかし、その持ち帰った微粒子を分析し、太陽系の姿を解明するという仕事はまだ始まったばかりです。大がかりな宇宙プロジェクトほどの華々しさはありませんが、これが成ってこそはやぶさの旅は完結するのだともいえます。
 理学系研究科地殻化学実験施設の長尾敬介教授らはその分析に当たり、イトカワの、そして太陽系の起源に迫る成果を挙げました(Science誌の「はやぶさ」特集号に掲載された長尾グループの論文)。今回は長尾教授および、この研究室出身のOBたちとともに実験に当たった松田伸太郎さん(博士課程3年)にお話を伺いました。


中央が長尾教授、左側が松田さん。

−「先生は,隕石の分析がご専門ですね」
長尾先生(以下N)「はい、学生時代から隕石に含まれる希ガスの分析に取り組んできました」

−「隕石の希ガスの分析というと、どのような?」
N「隕石は宇宙空間を漂ううち、宇宙線を浴びて様々な同位体ができます。隕石に含まれる希ガスを取り出し、その同位体比を測定することで、太陽系の生成過程など多くの情報が得られます」

−「隕石には様々な元素が含まれていると思いますが、なぜ希ガスが分析対象になるのでしょうか?」
N「隕石内の希ガスは太陽系ができるときに隕石母天体に取り込まれたものや、隕石形成後に宇宙線などを浴びて生成したもの、放射性核種の壊変で作られたものなどです。このため、地上にある希ガスとは大きく同位体比が違ってきますので、これを分析することで、太陽系の歴史を知る手がかりになります。また希ガス元素は同位体の種類が多いこと、化学反応を受けないので分離が簡単で、分析がしやすいというメリットもあります」

−「同位体比がそんなに違うものですか」
N「たとえばネオンには質量数が20,21,22の同位体がありますが、地球上ではネオン20が90%以上、ネオン22は約9%、残り0.3%ほどがネオン21です。ところが宇宙空間では、宇宙線によって隕石内の原子核が壊され、ネオンの同位体が新たに作られます。ですので、このようにして作られるネオン同位体の存在比はほぼ1:1:1と、地上のネオンとはまるで違ってきます」

−「なるほど。それを分析することで、たとえばどのくらいの間宇宙にいたかがわかるわけですね」
N「はい。宇宙線をどのくらいの期間浴びていたか(宇宙線照射年代)は隕石の分析において非常に基本的なデータです。この同位体の比率から、隕石のサイズや起源物質など他では解明できない様々な情報が読み取れます。これによって最近数百万から数千万年程度の歴史、たとえばこの隕石は火星から500万年前に飛び出したグループであるというように、太陽系の「近代史」がかなりわかってきます」

−「今回のはやぶさサンプルと、地上で得られる隕石の試料との最大の差は何でしょうか」
N「隕石は大気中を飛んでくる間に摩擦熱で表面が焼けてしまい、少なくとも表面の情報は失われます。また空気や地上のいろいろな成分によって汚染されることも避けられません。はやぶさの取ってきたサンプルはこうした問題がない、宇宙空間にいた生の姿です。特にイトカワ表面で太陽風宇宙線を浴びていた部分のデータは、非常に貴重です」


イトカワ

−「ということは先生にとってもこれは、やはり一世一代の研究ということに」
N「そうなりますね(笑)」

−「当然「はやぶさ」プロジェクトにも、2003年の打ち上げ前から関わっておられたわけですね」
N「はい、いつでも分析ができるよう、国内各大学と分担してチームを組み、備えていました」

−「松田さんはこのはやぶさのプロジェクトがやりたくて研究室に入ってきた?」
松田(以下M)「いえ、たまたま……」
N「ちょうどはやぶさが帰ってきたとき、この分析ができるレベルの学生が彼だけだったんですよ。もしはやぶさが当初の予定通り2007年に帰ってきていたら、まだ松田君の技術では対応できなかったでしょう。彼は運がよかったんですね(笑)」

−「では先生は、はやぶさが無事帰ってくるかどうか、ずっとやきもきしながら待っていた?」
N「行方不明になったときには諦めかけましたよ、やはり」

−「はやぶさは結局2010年6月に帰還したわけですが、そうやって持って帰ってきたサンプルはどのように扱われたのですか?」
N「相模原市宇宙航空研究開発機構JAXA)に持ち込まれ、専用に作られて厳しく管理されたクリーンルーム内の、窒素ガスを満たしたグローブボックスの中で取り扱われています。希ガス分析を行う我々としては真空中で扱ってほしかったですが、そうもいかないので……。
 結局、グローブボックス第一室にカプセルを入れて、ボックス内を減圧しながら、カプセル内外の気圧差を検出して、同じ圧力になった時にゆっくりと開けました。地球帰還時のショックやその後の大気圧下で、カプセル封止がどこまで達成されているか分からなかったためです。実際には、かなり良い真空状態が保たれていましたが、開封後のボックス内のガス組成を測定したところ、やはり地球大気の希ガスは少し入っていました。その後、グローブボックス第2室に移動して、クリーンな窒素ガス雰囲気中でサンプルの取り扱いが行われています。」

−「その窒素も、少しでも不純物があると大きく影響しそうですね」
N「はい。液体窒素を作っているメーカーをいろいろと調べて、特に希ガス含有量の少ない純度のよいものを選び、さらに精製法を工夫することで、数桁も不純物を減らせることがわかりました」

 さてそうした苦労の末に得られたサンプルの分析で何がわかったのか、次回に続きます。

西原 寛教授に、ボルドー第一大学の名誉博士号

西原 寛教授がDoctorate Honoris Causa(名誉博士号)をフランスのボルドー第一大学より授与されました。

ボルドー第一大学は1441年にその前身が設立された、伝統ある大学です。本名誉博士号の起源は15世紀末に遡り、フランス・ボルドーのアカデミアへの貢献が大きい、優れた科学者に与えられるものです。今回、アジア人としては初の名誉博士号授与となります。

西原教授は無機化学・錯体化学を基盤とした、電気化学、光化学、分子エレクトロニクスの分野で顕著な業績を挙げており、現在は新学術領域研究「配位プログラミング」の領域代表として活躍しています。また、ボルドー大学、ストラスブール大学の招聘教授としてフランスに滞在し、各地でレクチャーシップを歴任しました。

上記の業績が評価され、今回名誉博士号の栄誉に浴することとなりました。

西原教授の、さらなる活躍をお祈り申し上げます。


名誉博士の学位記を授与される西原教授

130年目の初対面 〜西原研究室〜

 さてここ最近は若手研究者に焦点を当ててご紹介していますが、今回は理学系研究科化学専攻・無機化学研究室(西原研究室)の坂本良太助教、林幹大さん(博士課程2年)に登場いただきます。



坂本助教(左)、林さん(右)

・化学の魅力
多くの科学分野では、すでに自然界にあるものの性質を調べたり、仕組みを解明したりということがメインになります。自然界にないものを科学者が創る、ということは普通ありません。天文学者が新しい星をひとつ合成したり、海洋生物学者が新種の魚を創り出したりということは、実際上できない相談です。
しかし化学だけは、それまで宇宙のどこにもなかった化合物を、自分の手で創り出すことができます。未知の物質を合成し、新たな研究対象を自ら創り出せる――これは、化学という分野の持つ大きな特徴です。そしてその過程で、思わぬものが見つけ出されてくることがあるのも、化学研究の持つ魅力かもしれません。

・色素増感太陽電池とは
 化学合成の対象となる化合物として、たとえば有機半導体などの機能性材料を新しく創り出す研究は特に盛んに行われ、近年進展の著しい分野です。分子をいかにデザインして効率よく合成するか、その性能をいかに評価するか、などが研究の鍵になります。
 中でも太陽電池の研究は、現在大きな注目を集めるジャンルです。安価で効率のよい太陽電池は、現在のエネルギー事情を大きく変えてしまう可能性を秘めています。ではどのような分子が、太陽電池の素材となりうるのでしょうか?

 ひとつには、電子密度の高い部分と低い部分、そしてカルボン酸部位を併せ持った分子がその候補になります。こうした分子を酸化チタンの微粒子と混ぜると、カルボン酸部分でその表面に結合します。これが太陽電池の心臓部になります。
 こうした分子に光が当たると、そのエネルギーを吸収して電子密度の高い部分から電子が叩き出されて低い方へ移動し、それがカルボン酸部位を通じて酸化チタンへと流れてゆきます。この電子の流れを、電流として取り出すのがこのタイプの太陽電池の基本原理になります(もう少し詳しい仕組みはこちらなど参照)。


太陽電池の基本原理

 このように、ある一定の波長の光を吸収する分子は、色がついて見えます。植物の光合成を担う葉緑素クロロフィル)などもその一例で、赤と青紫の光を吸収してそのエネルギーを使い、緑の光は反射してしまうために、葉は緑に色づいています。これと同様に、色素が吸収した光のエネルギーをそのままにせず、うまく集めて電流を作ろうというのが、このタイプの太陽電池の発想です。

 酸化チタンは、単独でも光エネルギーを吸収する効果がありますが、色素分子と組み合わせることでさらに効率を上げています。そのため、こうしたタイプの太陽電池を「色素増感太陽電池」と呼んでいます。

・3色の未知物質
 さて今回の研究(論文こちら)のきっかけとなったのは、坂本助教が昔から研究していた下図のような分子でした。これは両端の部分が光を吸収し、そのエネルギーで構造が変化して色が変わる(フォトクロミズム)という面白い物質です。もとは両端にフェロセンという分子がついていましたが、これをトリアリールアミンに変えると1万倍も量子収率(光エネルギーを変換する効率)が上がることも明らかになりました。ここまで効率に優れた分子だと、他の使い道への展開が見えてきます。


光エネルギーによって分子の構造と色が変化する

 幸いこの分子はエステル部分を含んでおり、これは加水分解反応でふつう簡単にカルボン酸に変えられます。となればこれは、太陽電池材料として使える可能性が出てくるわけです。が、この化合物に加水分解反応を行ってみたところ、目的のカルボン酸は得られず、代わりにそれぞれ赤、紫、青色をした、3つもの未知の物質が得られてきました。いろいろと条件を変えてみても、目指すカルボン酸体はできませんでした。



3つの未知物質

 こうした予想外のことが起こったときこそ、研究者の勘が働くときです。「ほしいものができなかったので諦めて終了」という選択肢も当然ありますが、チームは「当初の目論見とは違うけれど、何が起きているか興味がある。何ができているのか追いかけてみよう」という決断を下したのです。が、これは予想外に難儀な道のりでした。


 ・紫の謎
 赤と青の2つは結晶化に成功し、下図のような構造であることがわかりました。加水分解でできたカルボン酸が近くの三重結合と環化し、ラクトン構造となっていたことがわかりました。これは1882年にハンス・フォン・ペックマンによって合成されたため、ペックマン色素(Pechmann dye)と呼ばれる一群の化合物に分類されるものです。


ペックマン色素の第1(赤)・第2(青)の異性体

 残る紫は、得られる量がわずかであった上に、ディスオーダーと呼ばれる現象(結晶格子の中で向きの違うものが混じり、重なって見えてしまう)のために解析が難航しました。ようやく突き止めた構造は、下のように5員環と6員環のラクトンがつながったものでした。かつて合成されたペックマン色素は、考えられる異性体3種のうち2種だけしか見つかっておらず、これは唯一未発見の異性体だったのでした。ペックマンの報告以来130年目にして、ようやくフルメンバーが出揃ったことになります。これらは各種の分子デバイスとして期待されますし、新たに優れた合成法が見つかったことで、ペックマン色素の応用が広がる可能性も十分にありそうです。


ペックマン色素・第3の異性体

 今回つかまった第3のペックマン色素は、収率わずか1%でしかなく、結晶化とその解析には2年の歳月を要したということです。普通ならば単なる不純物として捨ててしまいそうな微量成分を見逃すことなく追いかけ、貴重な物質を同定して見せた執念には全く敬服する他ありません。

 研究というのは思うように運んでくれるばかりではなく、当初の目論見からはずれてどこにどう転がっていくかわからないところに面白味があります。地味な積み重ねが必須ではありますが、こうして素晴らしい発見をしたときの喜びは堪えられず、一度味わうともう抜けられないほどのものです。見つかったばかりの「第3のペックマン色素」の研究がどう展開するかはまだ未知数ですが、今後さらに素晴らしい成果が生まれてくることを期待したいところです。


居合わせた西原研のメンバーと一緒に。これからもいい研究を期待してます!

菅裕明教授、産学官連携功労者表彰

 菅裕明教授(理学系研究科化学専攻)が、産学官連携功労者表彰(内閣府主催)において、日本学術会議会長賞を受賞しました。これは大学、公的研究機関、企業等の産学官連携活動において、大きな成果を収め、また、先導的な取組を行う等、産学官連携の推進に多大な貢献をした優れた成功事例に関し、その功績を称えるもので、今回が第9回目になります。


菅 裕明教授

 菅教授は触媒としてはたらくRNA(リボザイム)の研究をベースに、極めて多様な環状ペプチドを系統的に合成する技術を編み出し、これを新薬創り に生かす研究を行っています。この技術を元にスタートしたペプチドリーム社は製薬業界から大きな注目を集めており、各社と提携したプロジェクトが進められています。


菅教授の開発した「フレキシザイム」

 今回の受賞は、先端科学を直接産業とリンクさせた産学連携の先駆的な成功事例として、高く評価されたものです。今後のさらなる活躍をお祈り申し上げます。

中村栄一教授、西安交通大学名誉教授就任

 当グローバルCOEのリーダーである中村栄一教授(理学系研究科化学専攻)が、西安交通大学の名誉教授に就任することになりました。


中村栄一教授

 西安交通大学は中国で最も歴史ある大学の一つであり、同国で7つだけの国家重点大学にも選定されている名門校です。日本人化学者の名誉教授就任は、野依良治理研理事長や白川英樹・筑波大名誉教授などに続く大きな栄誉となります。

 中村教授の研究は当ブログでも何度かお伝えしている通りで、最近も鉄原子が反応を触媒している様子を、電子顕微鏡で直接観察するという大きな成果を挙げたばかりです(論文)。

 中村教授の、さらなる活躍をお祈り申し上げます。