池田菊苗教授のグルタミン酸、「技術未来遺産」登録

 昆布やかつおぶしの「ダシ」は、日本の食卓には決して欠かせない味です。このうまみ成分がグルタミン酸ナトリウムという化合物であり、調味料として広く普及していることはみなさんご存じのことでしょう。


グルタミン酸ナトリウム

 実はこのうまみ成分のルーツは、ここ東京大学理学部にあります。今からほぼ一世紀前の1908(明治41)年、東京帝国大学(当時)の池田菊苗教授は、苦心の末に大量の昆布からうまみ成分だけを純粋に抽出分離することに成功したのです。そしてこの成分が「グルタミン酸ナトリウム」というアミノ酸の一種であることも同時に解明されました。それまで西洋では「うまみ」という味覚が認知されておらず、この発見は大きな驚きをもって迎えられました。これは高峰譲吉のアドレナリン発見などと並び、日本の化学界が世界に向けて放った最初の大成果に数えられます(参考:東大理学部ニュース)。

 グルタミン酸ナトリウムは翌年早くも調味料として商品化され、一般にも大人気を博します。これが食品メーカー「味の素」の出発点ですから、今でいう産学連携の走りであったともいえるでしょう。5年後には早くも大工場が設立され、味の素は日本中の食卓に普及する定番商品となりました。


味の素の広告第一号。「池田菊苗先生発明」の文字が見える。

 池田教授は当時の日本人の体格が西洋人に劣ることを憂慮していました。安価で美味な調味料を造れば、食も進み体格も改善されるのでは、というのが研究の動機であったようです。今や日本人の体格は欧米人に比べてもさほど見劣りしないようになっていますが、池田教授の研究もここに寄与しているに違いありません(参考:「味の素発明の動機」青空文庫より)。

 実は、その池田菊苗教授が最初に単離したグルタミン酸ナトリウム第一号は、一世紀を経た現在も大事に保存されています。高さ数センチほどの小さなビンでしかありませんが、日本の化学史・産業史両面における大きなランドマークです。


池田教授単離のグルタミン酸ナトリウム第一号。「具留多味酸」のラベルが見える。


味の素川崎工場には、精製途中のグルタミン酸や、実験ノートも展示されている。

 この第一号グルタミン酸ナトリウムのビンが、このほど国立科学博物館から「未来技術遺産」として登録を受けることになりました。「国民の暮らしや経済に大きな影響を与えた技術資料を活用・保存するのが狙い」であり、学術から工業まで幅広い分野の製品22点が登録を受けました。この10月6日、東京・上野の国立科学博物館にて認定式が行われ、本学から長谷川哲也教授(理学系研究科化学専攻長)が出席して認定状と楯とを受領しました(朝日新聞の記事。授与式の動画はこちら(理学部HP))。


認定状を受領する長谷川専攻長(右)。


パネル展示の前で、認定状を手にする長谷川専攻長。

 今回認定を受けたのは、エレベーター・テレビ・ビデオ・デジタルカメラなど我々の暮らしになくてはならない商品や、電子顕微鏡やスーパーコンピュータ、新幹線など大がかりな製品の、いずれも第1号となった貴重な品ばかりです。「具留多味酸」はおそらく今回認定されたもののなかで最も小さく、中身もごく単純な分子です。しかしこの手のひらに載るほどの小さな小ビンが、前記の品々に勝るとも劣らない社会的影響を与えたことを思うと、化学というものの持つ力を改めて認識させられます。

 「具留多味酸」のビンは、港区高輪にある「AJINOMOTO 食と暮らしの小さな博物館」の一角に、ガラスケースに収まって展示されており、誰でも観覧が可能です。ひとつの発見が、歴史と共にどのように展開し、様々な製品と産業を生んでいったか一目で見られるようになっています。興味のある方はぜひ足を運び、ご覧になっていただければと思います。