130年目の初対面 〜西原研究室〜

 さてここ最近は若手研究者に焦点を当ててご紹介していますが、今回は理学系研究科化学専攻・無機化学研究室(西原研究室)の坂本良太助教、林幹大さん(博士課程2年)に登場いただきます。



坂本助教(左)、林さん(右)

・化学の魅力
多くの科学分野では、すでに自然界にあるものの性質を調べたり、仕組みを解明したりということがメインになります。自然界にないものを科学者が創る、ということは普通ありません。天文学者が新しい星をひとつ合成したり、海洋生物学者が新種の魚を創り出したりということは、実際上できない相談です。
しかし化学だけは、それまで宇宙のどこにもなかった化合物を、自分の手で創り出すことができます。未知の物質を合成し、新たな研究対象を自ら創り出せる――これは、化学という分野の持つ大きな特徴です。そしてその過程で、思わぬものが見つけ出されてくることがあるのも、化学研究の持つ魅力かもしれません。

・色素増感太陽電池とは
 化学合成の対象となる化合物として、たとえば有機半導体などの機能性材料を新しく創り出す研究は特に盛んに行われ、近年進展の著しい分野です。分子をいかにデザインして効率よく合成するか、その性能をいかに評価するか、などが研究の鍵になります。
 中でも太陽電池の研究は、現在大きな注目を集めるジャンルです。安価で効率のよい太陽電池は、現在のエネルギー事情を大きく変えてしまう可能性を秘めています。ではどのような分子が、太陽電池の素材となりうるのでしょうか?

 ひとつには、電子密度の高い部分と低い部分、そしてカルボン酸部位を併せ持った分子がその候補になります。こうした分子を酸化チタンの微粒子と混ぜると、カルボン酸部分でその表面に結合します。これが太陽電池の心臓部になります。
 こうした分子に光が当たると、そのエネルギーを吸収して電子密度の高い部分から電子が叩き出されて低い方へ移動し、それがカルボン酸部位を通じて酸化チタンへと流れてゆきます。この電子の流れを、電流として取り出すのがこのタイプの太陽電池の基本原理になります(もう少し詳しい仕組みはこちらなど参照)。


太陽電池の基本原理

 このように、ある一定の波長の光を吸収する分子は、色がついて見えます。植物の光合成を担う葉緑素クロロフィル)などもその一例で、赤と青紫の光を吸収してそのエネルギーを使い、緑の光は反射してしまうために、葉は緑に色づいています。これと同様に、色素が吸収した光のエネルギーをそのままにせず、うまく集めて電流を作ろうというのが、このタイプの太陽電池の発想です。

 酸化チタンは、単独でも光エネルギーを吸収する効果がありますが、色素分子と組み合わせることでさらに効率を上げています。そのため、こうしたタイプの太陽電池を「色素増感太陽電池」と呼んでいます。

・3色の未知物質
 さて今回の研究(論文こちら)のきっかけとなったのは、坂本助教が昔から研究していた下図のような分子でした。これは両端の部分が光を吸収し、そのエネルギーで構造が変化して色が変わる(フォトクロミズム)という面白い物質です。もとは両端にフェロセンという分子がついていましたが、これをトリアリールアミンに変えると1万倍も量子収率(光エネルギーを変換する効率)が上がることも明らかになりました。ここまで効率に優れた分子だと、他の使い道への展開が見えてきます。


光エネルギーによって分子の構造と色が変化する

 幸いこの分子はエステル部分を含んでおり、これは加水分解反応でふつう簡単にカルボン酸に変えられます。となればこれは、太陽電池材料として使える可能性が出てくるわけです。が、この化合物に加水分解反応を行ってみたところ、目的のカルボン酸は得られず、代わりにそれぞれ赤、紫、青色をした、3つもの未知の物質が得られてきました。いろいろと条件を変えてみても、目指すカルボン酸体はできませんでした。



3つの未知物質

 こうした予想外のことが起こったときこそ、研究者の勘が働くときです。「ほしいものができなかったので諦めて終了」という選択肢も当然ありますが、チームは「当初の目論見とは違うけれど、何が起きているか興味がある。何ができているのか追いかけてみよう」という決断を下したのです。が、これは予想外に難儀な道のりでした。


 ・紫の謎
 赤と青の2つは結晶化に成功し、下図のような構造であることがわかりました。加水分解でできたカルボン酸が近くの三重結合と環化し、ラクトン構造となっていたことがわかりました。これは1882年にハンス・フォン・ペックマンによって合成されたため、ペックマン色素(Pechmann dye)と呼ばれる一群の化合物に分類されるものです。


ペックマン色素の第1(赤)・第2(青)の異性体

 残る紫は、得られる量がわずかであった上に、ディスオーダーと呼ばれる現象(結晶格子の中で向きの違うものが混じり、重なって見えてしまう)のために解析が難航しました。ようやく突き止めた構造は、下のように5員環と6員環のラクトンがつながったものでした。かつて合成されたペックマン色素は、考えられる異性体3種のうち2種だけしか見つかっておらず、これは唯一未発見の異性体だったのでした。ペックマンの報告以来130年目にして、ようやくフルメンバーが出揃ったことになります。これらは各種の分子デバイスとして期待されますし、新たに優れた合成法が見つかったことで、ペックマン色素の応用が広がる可能性も十分にありそうです。


ペックマン色素・第3の異性体

 今回つかまった第3のペックマン色素は、収率わずか1%でしかなく、結晶化とその解析には2年の歳月を要したということです。普通ならば単なる不純物として捨ててしまいそうな微量成分を見逃すことなく追いかけ、貴重な物質を同定して見せた執念には全く敬服する他ありません。

 研究というのは思うように運んでくれるばかりではなく、当初の目論見からはずれてどこにどう転がっていくかわからないところに面白味があります。地味な積み重ねが必須ではありますが、こうして素晴らしい発見をしたときの喜びは堪えられず、一度味わうともう抜けられないほどのものです。見つかったばかりの「第3のペックマン色素」の研究がどう展開するかはまだ未知数ですが、今後さらに素晴らしい成果が生まれてくることを期待したいところです。


居合わせた西原研のメンバーと一緒に。これからもいい研究を期待してます!