フラーレンをベースとした有機太陽電池〜松尾研究室〜

 Angewandte Chemie誌のEarly Viewに、当拠点の松尾豊特任教授・中村栄一教授の連名での論文が掲載されました。松尾先生は35歳、この4月に研究室を立ち上げたばかりの気鋭の研究者です。


松尾豊特任教授

 松尾研究室は「光電変換化学講座」の名の通り、フラーレン誘導体をベースとした太陽光発電を主体に研究しています。フラーレン誘導体合成反応の開発といった基礎研究から、商品としての実用化までをトータルで目指す研究体制をとります。このためフラーレンの化学変換技術に関しては世界でも最高レベルにあり、実用化に関しても多くの実績を持つトップメーカー・三菱化学と組んで、強力な体制を築き上げています。
今回の論文は、C70誘導体の合成と性質の解明という、基礎に近い方の研究です。このエントリではこの論文の紹介と共に、太陽光発電についても後半で取り上げたいと思います。

松尾先生が中村研究室の助手であった時代から取り組んでいるのが、フラーレン錯体の化学です。中でもフラーレンに5つの置換基を導入し、その中央に鉄原子を導入した「バッキーフェロセン」は、その美しさと意外性から大きな話題を呼びました。


バッキーフェロセン

そしてこれら五重付加体は、単に形が面白いというだけにとどまらない大変面白い機能を持っています。たとえば長いアルキル鎖や芳香環を5つ取り付けたフラーレンは、液晶としての性質を示します。バトミントンのシャトルコックが積み重なるような、ユニークな形式です(Natureに掲載された論文はこちら)。


シャトルコックフラーレンの自己組織化の様子

その後も同グループでは、この五重付加反応の化学を徹底的に追求し、多くの成果を挙げています。2006年にはフラーレンに10個の置換基を導入し、2つの鉄イオンと結合させた「ダブルデッカーバッキーフェロセン」の合成にも成功しています。


ダブルデッカーバッキーフェロセン

今回の論文では、C70をベースとしたフラーレン錯体の合成を行っています。C60と同様の条件で反応を行うと、置換基が6つ、金属(ルテニウム)が3つ乗ったものが選択的に得られるのだそうです。置換基の位置もほぼきちんと決まるのだそうですが、なんでこの位置なのだろう?と不思議になるような場所です。このあたり、どのような作用のバランスの結果であるのか、非常に興味があるところです。


C70錯体

ダブルデッカーバッキーフェロセンでは、電気によって2つの金属イオンの一方を酸化する(電子を奪う)と、もう一方は酸化を受けにくくなるなどの相互作用が見られます。つまり、情報の入出力可能なデバイスの基本条件を備えているといえます。そして今回のC70錯体でも、同じ現象は起こりました。3つの金属イオンは独立した存在ではなく、それぞれの状態に応じて互いに影響を与え合います。
松尾先生は、これは分子トランジスタへの入り口になるのではないかと考えています。トランジスタは入力された電流が増幅、あるいはスイッチ動作を行いますが、この3つの金属イオンはそれに似た振る舞いを示すというのです。ナノサイズの、地上で最も小さなトランジスタがここから生まれることになるのかもしれません。



フラーレン太陽電池
現代人類が抱える課題の中でも、エネルギー問題は最も重要なものの一つです。極端な言い方をするなら、好きなだけエネルギーを使えるようになりさえすれば、たいていの問題は解決してしまう、とも言えます。環境を汚さず、安価に大量のエネルギーを作り出す手段こそが、現在人類が最も必要としている技術であるといっても過言ではありません。
無限に降り注ぐ太陽光線を、人間が使いやすい電気の形に変える「太陽電池」は、その最も有力な候補です。現在普及しているのはシリコン型太陽電池ですが、極めて純度の高いシリコン結晶を必要とするため、ややコストがかさむなど難点もあります。
松尾研究室で開発に取り組んでいる有機太陽電池は、製造コストを抑えることができる上に軽くしなやかであるため、衣服やアウトドア用品、携帯電話などに用いることも可能と考えられます。電気が必要な現場ですぐさま電気を作る、新しい考え方の商品が生まれそうです。

では具体的な発電の仕組みはどうなっているのでしょうか?光のエネルギーを電子の流れに変換するためには、まず光を受けて電子を放出する分子(電子ドナー)と、その電子を受け取る分子(アクセプター)が必要になります。ドナー側としては、ポリチオフェンなどの電子豊富な分子がよく用いられています。そしてフラーレン誘導体は、アクセプター側として優れた性質を示すため、多くの研究で採用されているのです。


ドナーとして用いられるポリチオフェン誘導体の一例。

アクセプターとしては、フラーレンなら何でもいいというわけにはいきません。太陽電池に用いるアクセプターは適当な電子親和性を持つ必要があり、C60そのものはやや親和性が高すぎます。そこで、先ほどの五重付加体が当初は用いられていましたが、これは親和性を落としすぎであることがわかり、現在は2つの置換基を導入したものが最もよい成績を挙げています。
また、取り扱いの上ではある程度の溶解度を持たなくてはならず、密に詰まった安定性の高い結晶が得られることも実用上極めて重要です。今のところこれらの条件を最もよく満たすのはSIMEFと名付けられた誘導体で、有機太陽電池としては世界最高レベルの変換効率を叩き出しています。


SIMEF

SIMEFがアモルファスから結晶へ変化する様子

また実用化を目指す上では、これらの誘導体が大量に、純度よく得られることが不可欠である、と松尾先生は強調されていました。堅牢な合成法を確立して足場を固め、きっちりと再現する間違いのない結果を出し続けることが、こうした研究では何より重要なのでしょう。


フラーレン誘導体のビンを手にする松尾先生。さらなる効率改善により、5年以内に実用化を目指したいとのこと)

基礎から応用までを一人でこなすのは非常に大変なことと思えますが、それをやってのけられる秘密は、これまで氏が積み重ねてきた多彩なバックグラウンドにあるようです。太陽電池の開発をしたいという理由で大阪大学を選んだ松尾先生は、運命のいたずらで無機化学の研究室に入ることになり、ここで錯体化学の基礎をみっちりと身につけます。助手として採用された中村研究室では、その蓄積を生かしてバッキーフェロセンの優れた合成法を編み出し、その性質を調べるうち、若い頃の夢であった太陽電池へとたどり着きました。運命とは面白いものだとも思えますし、無機化学有機化学・物理化学などの多様な知識を身につけてきたことが、結局は太陽電池という夢への早道だったということかもしれません。

穏やかな語り口、地に足のついた研究哲学、それでいて仕事について語り出したら止まらない、研究に対する情熱。この研究室から世界を驚かす素晴らしい結果が出るのも、そう遠くないことのように思えました。


この中から、世界を救う化合物が出るのかもしれません。