燃料電池の新時代を切り開く 〜尾嶋研究室〜

今回は工学系研究科・応用化学専攻の尾嶋正治教授の研究室に伺いました。半導体を中心としたナノデバイスの開発、結晶成長、高輝度放射光を用いたそれらの測定技術の開発、燃料電池の触媒開発といったところが尾嶋教授の専門です。
 窒化ガリウムやケイ素系などの半導体研究を主体としてきた尾嶋研にあって、燃料電池の研究はやや異色にも見えます。しかし話を伺うと、今までの燃料電池の限界を打ち破る凄い研究であるということで、これはと思い紹介させていただくこととしました(論文はこちら)。



尾嶋正治教授


 燃料電池とは
 理科の時間に、「水の電気分解」という実験をやったことがあると思います。水にプラスとマイナスの電極を浸して電気を流すと、陰極から水素が、陽極から酸素が発生するというものです。
 燃料電池は、この全く逆の反応、つまり水素と酸素をうまく「燃焼」させ、電気を取り出すシステムです(※これと異なる形式のものもあります)。固体高分子形・リン酸形・溶融炭酸塩形などいくつかの方式があり、それぞれに検討が進められています。

 もう少し詳しく言えば、まず負極で水素分子がプロトン(H+)と電子に分解され、電子が導線を通って正極に流れることで電流が発生します。プロトンの方は電解質の中を通って正極側へ向かい、こちらで酸素分子および導線を通ってきた電子と反応して水になります。



燃料電池の原理


 といっても、単にプロトンと酸素が混じっただけでは、何も反応は起こりません。そこで、この反応を起こすための触媒が必要になります。触媒としては、現在のところ細かな白金粒子を炭素上に担持させたものが用いられていますが、実はこれが燃料電池のネックでもあるのです。

 燃料電池の優れている点は、何といってもクリーンかつエネルギー効率が高いところです。原理的には、燃料電池から出る廃棄物は水だけですから、一切環境を汚染しません。また内燃機関として用いる場合、燃料電池は現状のガソリンエンジンの2.5〜3倍の効率があると考えられています。自動車メーカーが競って燃料電池の開発に取り組んでいるのもここに理由があります。



トヨタ燃料電池車(Wikipediaより)


 ただし、燃料電池には今のところいくつかの問題があります。
(1) 燃料の水素をいかに発生させるか
(2) 軽い気体である水素の貯蔵をどうするか
(3) 触媒として用いる白金が高価であり、埋蔵量に限界がある
 これらの問題を解決しないことには、燃料電池の実用化は進みません。そして尾嶋教授が取り組んでいるのはこのうち(3)の問題、すなわち触媒の改良です。


 ・白金触媒
 いうまでもなく白金は非常に高価であり、希少です。例として、燃料電池自動車を作ることを考えてみましょう。今の技術では、自動車1台あたり100グラムほどの白金が必要と考えられます。世界の白金産出量は年間150トンほどでしかなく、これを全て燃料電池車生産に振り向けたとしても150万台、すなわち世界の自動車生産の2%ほどをまかなえるに過ぎません。もちろん白金には装飾用、排ガス処理触媒用など多くの用途がありますから、燃料電池に全てをつぎ込むわけに行きません。
 現在の白金相場から計算すると、単純に触媒だけで燃料電池車1台あたり約40万円のコストがかかりますし、需要が増えればさらに価格が高騰することになります。つまり燃料電池がいくら環境面で優れていても、高価で希少な白金触媒という足かせがある限り、一般への普及は難しいと考えられるのです。

 最近、群馬大学尾崎純一教授は、ある種の炭素材料が白金に代わる触媒効果を持ち、正極材料として適当であることを発見しました。これは炭素を含んだポリマーなどに少量の窒素源(フタロシアニン鉄錯体など)を混ぜ、1000度前後の高温で蒸し焼きにして得られます。微細な球殻状の構造を持つため、「カーボンナノシェル」と命名されています。



フタロシアニン


 驚くべきことにこの触媒は、出力電圧・出力密度などで白金にほぼ匹敵する性能を示す上、繰り返し使用しても劣化がほとんど見られません。原料はいくらでもある炭素と窒素ですので、資源の枯渇といった心配とも無縁です。資源の少ない日本にあっては、こうしたレアメタルに代わる高機能材料の開発は喫緊の課題といってよいでしょう。
 しかしこれまでの考えでは、酸素を活性化してプロトンと反応させるには、d電子を持つ白金などの金属が必要というのが常識でした。炭素と窒素でできた単純な化合物が触媒活性を持つなどは誰も予想しておらず、その機構も謎に包まれていたのです。



触媒となるカーボンナノシェル


 尾嶋教授は半導体研究で培った放射光解析の技術を生かし、尾崎教授と共同でその機構の解明に乗り出しています。解析したい材料にX線を照射すると、含まれている元素の内殻電子がイオン化され光電子として外に飛び出します(アインシュタインの光電効果)。この運動エネルギーを測定することで、検体を破壊することなく構成元素を分析し、対象元素の濃度や化学結合の様子を調べるというのが、放射光解析の原理です。尾嶋研では、つくば市高エネルギー加速器研究機構のPFや兵庫県SPring-8などの施設を利用しています。



SPring-8Wikipediaより)

こうした解析の結果、触媒の構造や活性点、反応機構が徐々に明らかになってきています。カーボンナノシェルは炭素が蜂の巣状につながった「グラフェン」のところどころに、窒素原子が組み込まれた構造です。窒素の置換位置にはいくつかの可能性が考えられますが、このうちグラフェンのへり(エッジ)のジグザグ部分に窒素が入った場所(有機化学の言葉でいえば、キノリジニウム構造)が活性点と見られています。窒素が入ることでその両隣の炭素を活性化し、この部分に酸素分子が吸着してプロトンと反応し、水に変わると考えられます。内部にある窒素や、同じエッジにあってもピリジン型窒素やピロール型窒素は触媒活性に寄与しません。



キノリジニウム骨格


図のような、グラフェンのエッジの凹んだ位置にある窒素が触媒活性のミソ。
隣接する矢印のついた炭素が活性化され、酸素と反応する。他の窒素は寄与しない。


 では窒素が多ければ多いほどいいのか?実はそう単純ではなく、炭素に比べて1%程度含まれている状態が、今のところ最適とのことです。窒素が多くなると、カーボンナノシェル全体の安定性や導電性が低下するのが原因のひとつと見られます。

 大きな可能性を秘めているカーボンナノシェル触媒ですが、今のところランダムな構造の混ざりものであり、尾嶋教授の言葉によれば「いわば漢方薬」です。今後さらにメカニズムの検証が進めば、それに沿ってさらに出力や耐久性のアップした触媒を設計して作れる可能性があります。
長年研究されていながら、なかなか実用化にこぎ着けられないでいる燃料電池ですが、ようやくその難点のひとつが突き崩されるのかもしれません。ありふれた元素で、高価な材料を代用してしまうこうした技術こそ、現代の錬金術(錬白金術?)というべきなのではないでしょうか。一見何の変哲もなさそうな黒い粉に、人類最大の課題を解決する力が秘められているかもしれないと思うと、何だかピカピカの白金などよりもよほどありがたく見えてくるから不思議です。研究の醍醐味とは、まさにこんなところにあるのではないでしょうか。