「創発」する分子 〜藤田誠研究室

 自然界には、誰の手も加わっていないのに、複雑で美しいかたちが創り出されることがままあります。よく知られている代表的な例は、雪の結晶でしょう。雪粒を作っているのは単純な水の分子であり、ここには酸素原子に水素原子が2つついているという以上の情報は何もこめられていません。しかし水を一定の条件で冷却すると、何も外から手を加えずともあの美しい六角形の結晶が自然に出来上がります。


雪の結晶の例(Wikipediaより)

 このように、部分の単純な総和を超えた性質が、全体として現れる現象を「創発」と呼びます。単純なつくりの神経細胞が集まって複雑な「意識」が生まれるのも、人々の話し合いから新たなアイディアが生まれるのも、一種の創発といえます。
 ナノレベルでも「創発」は起きています。ある種のウイルスの殻(カプシド)は、数百ものタンパク質の断片が、見事に対称性の高い正20面体型に集まってできています。図に示したHK97ウイルスの場合、780個ものパーツが自己集合しています。もちろんパーツとなるタンパク質のどこを見ても780などという数字が書き込まれているわけではなく、誰かが数を数えているわけでもないのに、間違いなく780個のタンパク質が寄り集まるのです。



HK97ウイルスと、その構造の一部
この六角形が120枚、五角形が12枚集まってカプシドが形成される

 人工の分子でもって、この「創発」現象を導き出すという試みには、(恐らく)今まで誰も成功していません。これが実現すれば、今までより高いレベルでの「ものづくり」が期待できることになります。今回Science誌に掲載された藤田研究室の仕事は、まさにこれに相当するものです。


藤田誠教授(左)・佐藤宗太助教(右)

 ・自然に組み上がる多面体
 藤田研では、以前から二座配位子(ピリジンなど配位部分が2箇所ある分子)とパラジウム(平面4配位)を組み合わせた錯体を多数作り出しています。もし二座配位子が単純な直線状であれば、どこまでも広がる碁盤の目のような錯体ができるはずです。こうした錯体は金属有機構造体(Metal organic framework)と呼ばれ、現在注目の研究領域となっています。
 しかし二座配位子が直線でなく、くの字型に折れ曲がっていたらどうなるか?この場合は無限に広がった平面ではなく、いくつかの配位子とパラジウムが自己集合し、球状の錯体を形成します。パラジウムピリジンは可逆的な結合を作るため、くっついたり離れたりを繰り返しながら最も安定な形に落ち着くと考えられます。こうした錯体の形成は藤田研究室の最も得意とするところで、これまでにもいくつもの美しい多面体分子が世に送り出されています。例えば下図の錯体は、12個のパラジウムイオンと24個のリガンド(M12L24)、すなわち36成分が集合して出来上がります。両者は混ぜるだけで、数学でいう「立方八面体」をベースとした形状に落ち着きます。

 この配位子1では、フラン環の2位と5位にピリジンが結合していますが、ではこのフラン環を他の環に変えるとどうなるか?今回、間の環をチオフェンに変えた(配位子2)ところ、話が全く変わってしまうことがわかりました。この場合、24個のパラジウムイオンと48個のリガンド(M24L48)が自己集合した、ずっと大きな多面体(数学用語でいえば「斜方立方八面体」)を形成したのです。72もの要素が自発的に集まって一定の形を作るというのは、人工分子では初めての例になります。この立体の直径は4.5nmと、フラーレンの6倍以上にも及ぶ巨大分子です。

 構造式を見ている限り、フランとチオフェンには大した差がないように見えるので、この結果はちょっと意外です。しかし実は酸素と硫黄原子は大きさが違うため、「くの字」の折れ曲がり角度に大きな差があるのです。理論計算によると、配位子1の場合角度は約127°ですが、配位子2では149°にも達しており、これが大きな立体を形成した理由と考えられます。数学的にはM12L24を形成する理想の角度は120°、M24L48では135°と算出されますが、パーツの数が少ない方がエントロピー的に有利であるため、理論的予想値よりも小さめの多面体が組み上がっているものと考えられます。
 
 ではこの角度をさらに細かく変えていくとどうなるでしょうか?配位子の角度を精密に変えることは難しいですが、比率を変えて両者を混ぜることで、平均の角度を調整することはできます。これを試してみたところ、12の混合比が7:3(平均角度133.6°)ではM24L48のみができるのに対し、8:2(平均角度131.4°)に比率を変えるとM12L24のみができることが判明しました。わずか2.2°の角度の差で、全く異なった生成物ができるという事実は驚きであり、これこそ「創発」であるといえるのです。

 これだけを聞いてしまえば非常に美しい研究ですが、実際には非常な苦労がありました。2パラジウムからM24L48の錯体を作ること自体は簡単ですが、その構造を確認することは容易ではなかったといいます。
 質量分析でも、間違いなく構造決定できたといえるスペクトルを得るまでには、イオン化条件や構成の異なる装置を使った検討による改善が必要でした。最も確実な確認方法であるX線結晶解析はさらに大変で、様々な置換基のついた錯体を試し、試行錯誤の末に解析可能な結晶が得られるまでに、4年もの歳月を要したとのことです。川島研究室の「阿修羅結合」の場合もそうでしたが、「確実な証拠固め」といった地味な作業が、実際の研究では最も大変であったりするものです。


苦心の末に得られた結晶構造

 こうした球状錯体・グリッド状錯体の特性を生かし、藤田研究室からは次々にNature・Science級の成果が生み出されています(例:シリカナノパーティクルの合成)。しかしこうした成果も、一つ一つの結果を丁寧に実証し、確実に足場を固めることからしか生まれません。一見華やかで美しい研究の陰で、表に出ない研究者たちの苦労の重要さを思わされた訪問でした。

(今回の化合物はこちらでも紹介されており、マウスで回転・拡大縮小などして遊ぶことができます)